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「オシニ」ストーリーはこうして出来た

テーマ:表裏一体

西尾(ニシオ)の映画が、なぜ「オシニ」なのか?
私たちは、そもそも表裏一体の世界で生きています。
男と女、表と裏、善と悪、光と影、明と暗、真と偽・・・。
全てのものごとには二つの側面がある。
都市化が進み利便性が進む一方で、そこで暮らす人々が創る風土や生活が軽んじられては本当のまちづくりは出来ません。
この2つが表裏一体となり、バランスを取りながら共存していくことで、素敵なまちが出来るのです。
この表裏一体への気付きを現したのが、タイトル「オシニ」です。
これは、地域をつなぎ、若者を育て、魅力を発信することを目的に、西尾市民のキャストやスタッフによって制作された市民映画です。
ニシオ(西尾)を架空の国「オシニ」に置き換え、西尾の歴史や文化を織り交ぜながら、地域の未来へつなぐ物語を創りました。 オシニクライマックスシーン

ストーリーテラーのおばあちゃんがモナリザと同じペンダントをしていたのはどういうこと?
この映画は、おばあちゃんが孫に絵本を開いてフィクションのお話をしているという設定で進んでいますが、最後におばあちゃんが電車を降りた際に振り向いてウインクをするとその胸にはペンダントが輝いているので、「あれ?おばあちゃんはモナリザだったってこと?」と思われたかもしれません。
おばあと孫
おばあちゃんはモナリザで、自分の若い頃の話をしていたの?
そうではなく、これはあくまでもおばあちゃんの作り話。おばあちゃんは孫に物語を語る際に、自分を主人公にした物語を語っていたのです。だからおばあちゃんが大事にしていたペンダントを、お話の中のモナリザもつけていたということ。うえのすけが吉良さんのお話に出てきた娘をモナリザ?と思ったのも、おばあちゃんの想像のお話です。「ウインク」でそれとなくおばあちゃんのいたずら心を伝えてみましたが、気づいてもらえたでしょうか?


モナリザはウソつきだった?
クライマックスシーンで、モナリザが消え「全部ウソでした〜」の置き手紙がありました。
そして最後の最後で自転車に乗って逃げるモナリザを追いかける閻魔様。
「嘘つきは舌引っこ抜くぞ〜!」と叫びながら。これは、うそつきのうえのすけが結局うそつきのモナリザに騙されたというオチ。

閻魔様
吉良さんからの話で、モナリザの言うことを信じても良いのかもしれないと考え直したうえのすけ。
久麻久神社で、モナリザが「4つの町から石を集めて輪を作り、みんなで祈れば、割れてしまったキララが元に戻り、オシニを平和にする役目を果たしてくれる」と言うのに対し、人々が信じようとしないのを目にして、うえのすけは、自分がモナリザを嘘つきだと言えば人々は逆にモナリザの言うことを信じるのではないかと考えます。

久麻久神社
案の定、人々はうえのすけの言うことは信じられないと言い、結局モナリザが言うように石を集め輪を作ることになります。
嘘なのか本当なのか、どれも取り方によってどちらも嘘で本当に思え、まさに表裏一体。
モナリザは消えて、すべてウソだったと言われるわけですが、結果として4つの町の人たちは協力して石の輪を作り、一緒に笑い合い、オシニは平和になりました。だまされたと思ったことが、人々を平和にしました。
石と人の輪

言いたかったこと
ものごとの見方、角度、方向によって、同じ事実であっても違う面が見えてきます。町も片方だけを見ているとその面だけしか見えないが、見方を変えることで大事なこと、忘れていたことに気付き、町を再認識することが出来ます。
地域の活性化も見えない面を見て、ハード(近代化、ハイテク、利便性)とソフト(心、文化、歴史)の両面のバランスを取りながら発展していくものではないかと考えます。

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